あの日以来、canについてあれやこれやと考える日々を送っていた。あの日というのは、どしゃぶりの雨と濃い霧という生憎の天気の中、所用でホストファミリーと車で出掛かけ、車中で楽しそうに喋っていたホストブラザーが、急に静かになり、霧に包まれた窓の外をじっと凝視し、首をひねり腕を組んで考え込むような仕草をした後「I can smell bacon here(ここは警察官の匂いがすることが出来る)」と日本語にするとよくわからない言葉を発した日のことだ。 この数ヶ月前、紆余曲折を経て「I smell bacon here」という表現が「ここは警察官の匂いがする」という意味であることをやっと突き止め、「アメリカでの生活にもだいぶ慣れてきたな」といった感慨にどっぷり浸ってた矢先の「I can smell bacon here」である。
「I smell bacon here」という表現は、速度違反等をしている人への一種の警告であり、「ここは警察官の匂いがする」という意味であるというのは日本語としても理解出来る。しかしながら「I can smell bacon here」とcanを付加してしまうと「ここは警察官の匂いがすることが出来る」とよくわからない日本語になってしまう。ところが、その後のホストマザーの「Uh-oh!(あらら、大変だ!)」とのリアクションが自然に出たところをみると、どうやら英語としては成立しているようだ。
たった1語のcanではあるが、この謎解きは困難を極めた
その後、2学期が始まり、English 202での授業でsmell「匂いがする」はSensory Verbs(知覚動詞)と呼ばれる動詞の一種であり、嗅覚を表すsmell以外にも人間の感覚機能である五感、see「見える(視覚)」hear「聞こえる(聴覚)」feel「感じる(触覚)」taste「味がする(味覚)」が存在していると教わった。加えて、五感というのは人間に本来備わっている能力、つまり「最初から出来ること」とも教わった。「そうであるなら、なおのこと「出来る」という意味のcanを知覚動詞に付加する必要はないじゃないか?」とかえって疑問が増すこととなったが、知覚動詞という動詞の存在を知ることによって、smell(嗅覚)以外にsee、hear、feel、tasteといった言葉にもアンテナを張る習慣が出来た。
時は少し流れて冬である。Bellinghamは緯度的に北海道より北に位置する。言うまでもなく寒い。南国育ちの僕には耐え難き寒さである。よって、当然のように風邪を引く。この日も風邪による鼻詰まりで鼻が完全不通となり、嗅覚を失ってしまったショックからか早朝から深く心を閉ざし、オレンジジュースを前にして暗く沈んでていた。しかし、オレンジジュースを一口飲んで、ある初歩的なことに気付いてしまった。「そうか、嗅覚を失うと匂いがしなくなるのか」つまり「意識せずに出来てたことが何かの拍子に出来なくなるんだな」何か1つ重大なヒントを得たように感じ、鼻は完全に詰まってしまったが、視界は少し晴れたような気がした。
風邪が少しずつ回復し、完全不通の鼻もその復旧の兆しが感じられた頃、いつものようにホストマザーが朝食にオレンジジュースを出してくれた。一口飲むと、ホストマザーがこんな質問をした。「Can you taste things yet?(もう味はしますか?)」再び、canと知覚動詞、2つ揃っての登場である。一応「Yes.」と答え、オレンジジュースを摂取しながら、これまでの経緯を少し振り返ってみた。
- 寒さに耐えかねて風邪を引く
- 風邪に起因して鼻が詰まり始める
- 風邪と夜更しに起因して鼻が完全不通となる
- 人間に本来備わっている五感の1つである嗅覚を一時失う
- 若さ、十分な睡眠、ビタミンC(オレンジジュース)で徐々に回復
- 鼻が半分程開通し、嗅覚を半分取り戻す
これまでの経緯を振り返り、以下ような推論を導き出した。
推論にしてはどことなく説得力があった。あとは、これが正しい論なのか否か、他の検証材料が必要である。幸いなことに、ここはアメリカの地である。検証材料は街に溢れ、それを問うことが出来そうな相手も街中を闊歩している。僕は新しい検証材料をあれこれ探し求めた。
若さゆえ、風邪は早々に完治し、鼻通りも完全復旧と相成った。さて、冬と言えばスキーである。恵まれたことにBellingham近郊にはMt.Baker(ベイカー山)と呼ばれる高山に美しいスキー場がある。当然、南国育ちである僕はスキーをした経験がない。スキーどころか、大量に積もった雪を見た経験もない。そんな話をホストマザーにすると、風邪も治ったことだし「Let’s hit the snow at Mt.Baker!(ベイカー山にスキーに行こう!)」と相成り、人生初のスキーが決定した。
週末、スキー道具を車に積み込みベイカー山へと向かった。陸路は徐々に山間の装いを深め、目前にひときわ高くそびえる山が現れた。すると運転中のホストマザーが「Do you see the mountain before us? (目の前の山が見える?)」と僕に問い掛けた。目の前にあり当然のように見えるので「Yes, I do.」と正式な形で返答した。「That’s Mt.Baker!(あれがベイカー山だよ!)」とのことである。これだけ目の前でそびえ立たれるとそうであろうことは薄々勘付いてはいたが、そんなことより今回の「Do you see?」という尋ね方が気になった。今回は「Can you see?」と知覚動詞にcanは付加されないパターンである。僕はこの出来事を頭の中にある「can+知覚動詞検証ファイル」に大切にしまい、そっと閉じ込めた。
さぁ、人生初のスキーである。人生初の大量の雪でもある。若さゆえ、テンションは最高潮である。しかし、足に長い板をたった2枚装着するだけでこんなにも身動きが取れなくなるとは思ってもみなかった。一日でこんなに転んだのも人生初の経験である。ホストブラザーの補助のもと30メートル先に位置するスキーのリフトまで約1時間かけ、這う(はう)ように何とかたどり着き、リフトで山頂を目指した。リフトから無事降りるために流れるように移動するリフトを一旦止めてもらい、スキー場全面協力のもと、いよいよ雪山の山頂に降り立った。この日の山頂は15°F(-10℃)である。これだけ寒いと雪はPowder snow(粉雪)で雪の結晶そのままの形で降って来る。よって、転んだとしてもふわふわの雪の層に沈むだけなので痛くもなければ怪我もしない。ただ、雪の層は思ったより深く、気を付けなければtree-well(木の井戸)と呼ばれる木の周りに自然と出来る雪の落とし穴に体ごとスッポリ落ちてしまうことが時折あるとのことで、必ずペアで滑るようにとの諸注意を受けた。
tree-well(木の井戸)に関しての諸注意を受けたものの、実際は気を付けようがないとのことである。相手は自然である。しかも初の雪山で初のスキーで初のリフトでもあった。そこで、スキー経験豊富なホストシスター(当時9th grade)が僕のペアとして抜擢された。彼女が先に滑って、その滑った跡をなぞるように滑って来いとの指導を受けた。当然、そんな技量はまだ身に付いてない。しかし、山頂に登ったら降りねばならない。空は雲1つない晴天である。雪山でこんな日をBluebird Day(青い鳥の日=幸運の日)と呼んでいるとホストマザーが教えてくれた。そんなことを振り返りながら僕は必死になってホストシスターの後を追った。やはり他人が滑った跡をなぞるように滑るというのは初心者にとって至難の業である。僕としてもまだ誰も踏んでいないふわふわの雪の上を滑りたい、出来ることならそこで転びたい。そこで、指導内容とは多少異なるが、せっかくなので滑った跡の硬い雪に出来るだけ近いふわふわの雪の上を滑ることにした。すると意外と直ぐにエレベーターで急降下するような感覚がして、突如顔面すれすれに雪の壁が出現し、気付くと雪の中であった。背中には何やら樹木のような物が感じられ、先程から木の枝らしき物が僕の左側頭部を執拗に突いている。Bluebird Day(幸運の日)とは程遠く、見事にtree-well(木の井戸)に落下したようである。僕は命の危険を感じ、必死になって「Hey Sis! Help!(おーい!助けて!)」と何度も叫んだ。すると、「Hey, Where are you? 「おーい、どこにいるの?」と少し遠くからホストシスターの声とかすかな笑い声が聞こえた。僕は出しうる限りの大声で「I’m here!(ここにいますけど!)」と叫んだ。すると今度は「I can’t see you!(姿が見えないんですけど!)」と近くで声がした。僕は幾分ホッとして、持っていたSki-pole(スキーの際に手に持つ杖)を穴の上に投げた。運良く彼女に気付いてもらい「What the heck are you doing?Silly.(一体何やってるの?お馬鹿さん)」と頭上からやや渋めの評価を受けた。ただ、救出されながらも「I can’t see you(姿が見えないんですけど)」という言葉を「can+知覚動詞検証ファイル」にしまうことは忘れなかった。
その帰り道、僕は車窓から遠ざかって行く雪山をぼんやり眺めながら今日の出来事を振り返った。まずは、ひときわ高くそびえるベイカー山を前にしてホストマザーが発した「Do you see the mountain before us?(目の前の山が見える?)」という問い掛けである。その時の状況を精査して、以下のような推論を導き出した。
次に、ホストシスターの後を追うように滑り、教えを守らずtree-well(木の井戸)に落下し、一時姿を消した僕に彼女が発した「I can’t see you(姿が見えないんですけど)」という問い掛けである。その時の状況を精査して、以下のような推論を導き出した。
これらの推論も体験を基に導き出したものなので何となく説得力があった。 さぁ、これらの推論をもって「I can smell bacon here(ここは警察官の匂いがすることが出来る)」と対峙する時がやって来た。まず、その発言があった状況を振り返った。
- どしゃぶりの雨と濃い霧という生憎の天気の中、ホストファミリーと車で出掛かけた
- 車中でホストブラザーが急に静かになり、霧に包まれた窓の外をじっと凝視して、首をひねり腕を組んで考え込むような仕草をした後、知覚動詞smellに必要ないはずのcanを付加して「I can smell bacon here!」と警告を発した
- その後、ホストマザーは「Uh-oh!(あらら、大変だ!)」と応じた
- 結局、bacon=policeはいなかった
まず最初に、推論①の五感(能力)の一時消失は当てはまらない。当日のホストブラザーの鼻はその鼻歌交じりの様子から判断して詰まってはいなかった。次に、推論③をこのケースに当てはめると、「何かの障害物によって一時的にその対象物(bacon=police)が匂わない状況があり、その障害物が取り除かれて状況的に匂える状態(can smell)に変化した」ということになる。当日のどしゃぶりの雨と濃い霧という天気は、この障害物に該当するような気がするが、発言時には障害物(どしゃぶりの雨と濃い霧)は取り除かれていない(晴れていない)ので、これも該当しない。
振り出しに戻る
振り出しに戻って数週間後のある晴れた日、近くの公園で5歳くらいの女の子が父親と共に自転車に乗る練習をしていた。僕は何の気なしにその公園のベンチに座ってその練習風景をぼんやり眺めていた。「そう言えば、僕もこの子と同じくらいの時に補助輪を外して何度も転びながら練習したな」と幼少期を振り返った。その子も転んでは立ち上がって父の助言を得て、また自転車にまたがるということを健気に繰り返していた。程なくして、よろめきながらも10メートル程の距離を転ばずに乗れるようになっていた。実にほのぼのとした光景を前にしてほっこりしていたところ、思わずハッとして目からウロコが落ちていくのを感じた。「なるほど!出来なかったことが出来るようになるってことはつまりこういうことか」そうつぶやいて目から出たウロコを拾い上げると、「何か重大なヒントを得たな」と初めて自転車に乗れたその子と同じように晴れやかな笑顔で家路についた。 帰宅後、自転車の補助輪を外し、何度も転びながらも立ち上がっては自転車にまたがり、最後には10メートルの距離を一度も転ばずに乗ることが出来た女の子の練習風景を思い出しながら、以下のような推論を導き出した。