渡米を一ヶ月後に控え、「せめて英語の辞書くらいはちゃんとしたのを持って行かねば」と思い立ち、急ぎ足で近所の本屋へ出かけて行った。英和辞書(高校生用)と書かれたメモを片手に数ある辞書の中から運命的に30%OFFのシールが貼られた1冊を手に取った。これがアメリカ留学(苦学の旅)の友となる英和辞書、LIGHTHOUSEであった。
アメリカに到着し、いざ、留学生活が始まると、この英和辞書が命綱であることに気づく。あたかも僕とアメリカ人とを繋ぐ通訳のような存在であり、聞き取れなかった英語を紙に書いてもらい直ぐにLIGHTHOUSEで調べるという習慣ができた。当然だが、知らない単語を調べるとその単語の意味が分かる。暗闇に明かりが灯る感覚に似ている。その感覚が新鮮で、調べた単語には必ず蛍光ペンでチェックを入れ、時には辞書の余白に追加メモなどもしてフル活用する。日に日に生活になくてはならない存在となっていった。
LIGHTHOUSEは実際に使ってみるとなかなか頼りになる辞書で各単語には(マイナーな単語も含め)ほぼ漏れなく例文が付いている。他の辞書でよくありがちな文が完結してない虫食い例文といった類ではなく、律儀に完全文が掲載されている。また、round(前)とaround(前)のようなイギリス英語とアメリカ英語で表現が異なる単語も(英)(米)の表示でしっかり区別されている。留学中、特に調べる機会が多かったsell outのような句動詞はsellを引くと句動詞の部分はここからここまでといったように枠がしてあり、直ぐに調べたい表現にたどり着くことが出来た。
Gymnaster(しばしの別れ)
ある日、学校から帰宅し、宿題を早々に済ませようとスクールバッグを開けると、そこにあるはずの辞書がないことに気づく。その瞬間、目の前が真っ暗になった。「僕のLIGHTHOUSEがない・・」時刻は夕闇迫る午後6時、急いで学校に戻り、学校中をくまなく捜す。途中、セキュリティに捕まり事情を話す。すると、セキュリティも手伝ってくれるとのことで2人で必死に捜すが、結局見つからず。午後10時、暗闇の中を力なく歩いて帰宅。「暗中模索を照らしてくれてた灯台がなくなってしまった・・」その日は一晩中眠れない夜を過ごす。
翌朝、どんよりとした曇り空の中、沈痛な面持ちで学校に向かった。学校に到着し、Algebraの教室の後ろの席に力なく座る。すると、担当のスクールカウンセラーの先生がツカツカと僕のところにやって来て、まぶしい笑顔で「I got something for you!」「You left it in my office」と言って、失ったはずの灯台(LIGHTHOUSE)を手渡してくれた。一瞬で緊張の糸がプツリと切れ、魂が抜けていくのを感じながら「Thank you.」と消えそうな声で礼を言った。
「灯台、無事帰還ス。」
この日以来、事あるごとに辞書の存在を確かめ、常にその存在を肌で感じつつ生活するという奇妙な習慣が身に付いてしまう。
教室の体験入学で生徒さんから「どのくらい勉強すれば英語がわかるようになりますか?」といった質問をよく受けます。その際にはこのLIGHTHOUSEを手渡して「このくらいです。」と答えるようにしています。実際に辞書を手に取ると蛍光ペンのチェックが入ってないページを探すようにパラパラっとめくり、それがないことがわかると、何かを感じ取った表情で「なるほど、わかりました!」と言って英語習得のモチベーションがみるみる上がっていく様子がうかがえます。
大学時代、新しく入学してきた日本人留学生が「電子辞書」と呼ばれる機械を使って英単語を調べているのを目の当たりにして何となく切なくなったのを覚えています。その後、帰国して英語教室を開き、体験入学で「普段使っている辞書をご持参ください」とお願いすると、やはり多くの生徒さんが電子辞書を持参する姿を見て「この機械は市民権を得たんだな」と心寂しくなり、最近では「英単語は辞書アプリをスマホにダウンロードして調べてます」といった言葉を聞いて、「時代は思った以上に急激に変化している・・」と膝から崩れ落ち、手軽さを追求する現代人からしてみると、ちょっとした古美術品のような存在になってしまった我が良き友LIGHTHOUSEにふと目をやると少し不憫さを感じることもあります。しかし、紙の辞書には電子辞書やネット上の辞書にはない良さもたくさんあり、見直される日が必ず来るに違いないと思っています。これからも暗闇に光を灯し続けるであろう古き灯台と共に、時の流れの無常さを分かち合いながら日々過ごすのでありました。